| 「お帰り、ユミちゃん。」 居間のドアが開いた音に、振り向かずに背中で声をかけた。 眼を逸らさずに眺めつづける窓の外ははらはらと音もなく雪が舞い落ちている。 その中をつい今、弓生の姿が傘もささずに歩いてくるのを、表通りに面した6階のこの窓からずっと見ていたのだ。 「すっかり雪になったなあ。寒かったやろ?」 返事がないのに気付く。 「ユミちゃん?」 振り向くと、弓生は既にコートを脱いでソファに放り出し、ネクタイを解いたところだった。 いつもと変わらぬ無表情の底に、なにか沈んだ気配を感じ俄かに緊張する。 「どないしたん?神島は何の用だったん?」 何かまた汚れた仕事でも?との予感はしかし違っていた。 「神島桐子が死んだ。」 濡れて額にかかり雫を落とす前髪を、弓生は僅かに俯いて掻きあげた。 「何やて!?いつや?」 今朝早くだそうだ、と淡々とした口調での返事。そして弓生は、 葬式に行こうなどとは思うなよ と微かに気遣わし気な口調で付け加えた。 「わかっとるわい、そないなこと。」 表立った場に連なる事の許されるような身ではないことは重々承知してはいるけれど。 長年付き合った相手が死んだ、そのことを公に悼むことも叶わぬことに、もどかしく遣り切れない思いを抱えて唇を噛む。 弓生がふうっと溜息をついて窓の傍に歩み寄ってきた。 自分がさっきから寄りついている窓ガラスは、呼吸で薄く曇っている。それを弓生の白い指先が左右にゆっくりと滑って拭った。 降り止まぬ雪が、窓に残る水滴の向こうで歪んでちらつく。 「丹波もこないな天気やろか。独りで逝くには侘しい日やなあ。」 「史人が待っているだろう。」 ああそうだ。かつてあれほど慕った兄が、あちらで彼女を待っているのだ。 若い日の姿のままで。 「史人、桐子のこと見分けるやろか?」えらい婆さんになってしもて、と言うと、弓生は窓の外に眼をやったまま微かに笑ってゆらゆらと首を振った。 「死ねば歳なぞ関係なかろう。逢いたい歳になって行くさ。」 ああそうか。 兄に慈しまれてそれなりに幸せだった無邪気な幼い日の姿に戻って、振袖の袂を絡げてまっしぐらに駆けて行く切り下げ髪の桐子の姿が眼のうちに浮かんだ。 悪意、裏切り、権謀術数、幼くして纏わせられたすべての汚濁を脱ぎ捨てて、彼女は今ようやく自由になったのだ。 「せやな、桐子やっとほんまに楽になったんやなあ。喜んでやらなあかんのやろな。」 葬式は駄目でも、ほとぼりが冷めたら二人で墓参り行くくらいええやろな? いつまでも忘れへんよ、て言うて。なあユミちゃん、と傍らの相棒に向き直る。 ・・・・・結局、通り過ぎて行く彼らを憶えていてやれるのは、最後まで取り残される自分達二人なのだから。 弓生の濡れた髪からまた雫が落ちる。額に頬に幾筋も伝い落ちた水跡のなかに、色合いの違う雫があるような気がした。 「ユミちゃん・・・・・・?」 弓生は襟元の釦を外し、手の甲で乱暴に額から目元を拭った。 ああ、そうだな。憶えていてやらねばならない者がまたひとり増えたわけだ。 苦く笑いを含んでいるかのような口調で呟かれた言葉の端が、微かに震えた・・・・・ |
GARDENIA 柚乃さま より、キリ番3000ヒットで、弓生のイラストを描いて頂きました。
折角綺麗に描いて頂きましたので、管理人のヘボいSSをちょっと添えてみました。
柚乃さま、どうもありがとうございました。
ちなみに、柚乃さまのお許しを頂いて、別館に、このイラストの原図を加工して別館管理人が別のSSをつけたものを飾ってあります。
併せて御覧下さい。