惑星――数多の星の中で――




「―――っつうわけだ。こんなところで達彦の奴につまんねえこと言われるのも癪だから、ここは、御景としてもきっちり押さえて貰いてえんだが……」
「わかった。白峰御陵の異変についてはこちらでも把握していた。四国のことは任せて、そちらでの神島や秋川との打合せに専念して貰ってかまわない。」
「おそらく、天狗あたりがちょっかい出してるだけで、たいしたことないと思うんだが、なにしろ相手は崇徳院だ。下手に本気になられたら厄介だからな。」
「御景がなぜ香川を本拠地としているか、は私だってわかっているよ。神島の方こそ手を抜かないで貰いたいが、あの神島達彦がそんなところで御景に弱味を握らせるような真似は絶対にしないだろうから、そちらは安心しておくことにするよ。」
「悪いな、厄介なことばかりそっちに頼んで。俺はこっちでできる限りやらなきゃならねえんでな。……五百木と才原も…助かってる。それと……安倍仲麻呂の件も………」
「おまえは、御景の次期当主だ。」
「そうだったな……。すまない……兄さん……。」
 
 また、そんなことを言う……。受話器を持ったまま三吾の正直なばかりの困ったような苦笑を思い浮かべた。その甘さは命取りになるぞ。と思いながら、いつか遠野で言ったことも結局三吾は越えてしまったのだったと思い出した。
 遠野で―――どんなに優れた人間でも友であっても、どんなに信用している者であっても、敵にはなるんだと釘をさしたにもかかわらず、非情にはなれない義弟(おとうと)だった。
それでも、それがおまえという奴だった、と面影にむかって今度はこちらが苦笑する。
 遠野、鬼無里からつづく今度の一件。次期当主たちが集まって連日対策を練っているという報告は受けている。
 この大変な時期に、京都の白峰神宮で異変が続いているという。たいして力のあるものたちではないが、京都のあちこちから怨霊が集まっているらしい。都という場所柄、もともと霊が多い。
 京都は神島の本拠地だ。当然神島が封じに動いている。達彦はその経過を告げ三吾に四国の封じを要請した、という電話だった。
 京都の白峰神宮は、明治になって香川県坂出市にある崇徳院の白峰御陵からご神霊を迎えたところである。白峰神宮の異変といえば、やはり崇徳院の怨霊を警戒する。そうなれば、四国の御陵も何がしかの動きがあるのではないかと御景に話が来たという。

 さすがだな……。
 代行とはいえ三家を率いてきただけの視野をもっている。
 だが、私の知る達彦らしくないように思えるのは気のせいだろうか。
 最後に達彦に会ったのは、神島別宅での合議の席だった。 使役鬼を巡って故意に達彦と対立し、優位を譲らなかった達彦に御景として宣戦布告してみせた。そして、本家の力関係を崩せる筈だったのだ。
 神島家とは、いや、やはり神島達彦とはと言うべきだろう。遠野で一度手合わせしている。直接に達彦とではなかったが、あの時も私は達彦と闘ったのだと思っている。
 遠野でも、そしてあの合議の席でも、自分が、神島達彦になんら引けを取るものではないという自信はあった。
 あの男には私と同じ匂いが染み付いている。
 それは、なんと形容すれば一番近いのだろう。常に屈し、越えられず焦がれる対象を自身に重ねる苦しみとでも言うのだろうか。



 はらはら……
 はらはら……
のどかな陽光の中を、風も無いのに桜吹雪が舞っていた。
庭の桜の樹の下にうずくまる子供を見つけて近づいた。

 はらはら……
 はらはら……
見つめていた地面に射した影に驚いて、見上げた顔には薄汚れた涙の跡があった。
強い光を宿した眼を瞠り、警戒した子供の全身から強いオーラが燃え上がった。
 
 
 はらはら……
 はらはら……
敵わない――――。
それは、確信だった。単に霊力の差だけではない。彼は自分の力で輝くことの出来る種類の人間だ。子供ゆえに、駆け引きなどない無垢な視線が私の価値を抉り出した。

 はらはら……
 はらはら……
私の衝撃など自然界にはなんの影響も無い。
変わらずに降り注ぐ桜の花弁が制服の袖に止まったのを、目の端に捕らえた。
十五歳だった。

       
 はらはら……はらはら……
 はらはら……はらはら……


 その夜、かすかな泣き声に気づいた私は布団の傍らまで行ってやり、髪を撫でて大丈夫だと、声をかけてやった。なぜだかそうしなければいけないような気がした。

 美しい桜は、時に残酷だ。自分はこの義弟を愛しいと思えるだろうか?
 そんな問いすら、心の中に封じ込めた。長い長い十年……。

 封じ込めた問いは、時々暴走しようとした。
あまりにも無邪気におまえが頼ってくるから。
全存在を賭けて向かってくる魂を拒絶など出来る筈がない。
二心無く笑いかけるおまえの笑顔と信頼に、素直に愛しさを感じた。が、次の瞬間、いつもおまえは私の存在を取るに足らないものだと知らしめるような輝きを見せ付けた。
それは無意識だったのだと思う。今でもきっと、自分では気づいていないにちがいない。
その度ごとに、私の中で膨らんでいく重苦しいもの。
 それでも、 私の役目は御景の家を守ることだ、私は御景の長男なのだからと自らに言い聞かせて、無理矢理押さえ込んできた葛藤。
 私とおまえとの力の差を、当主である父が気づかない筈はない。
母は病弱で寝たり起きたりの生活だ。当主の妻としての強さや家督相続争いなどとは無縁の、細く儚げな女だ。
御景の長男として、私は一人で立たなければならない。
 
 庭の桜が花をつける度に初めておまえに会ったあの日のことを思い出しては、一人考えた。
  私は当主になりたいのだろうか…?
  私はおまえと争うのだろうか…?
  おまえは当主を望むのだろうか…?
いつの年も桜は何も語らず、あの日のように音も無く白い花びらを降らせるばかりだった。
 ―――父は長男の自分に当主を譲るに決まっている…いくら三吾に力があっても、あの子は次男だし、それに……そんなことはきっと家の者たちが許さない。―――
 そう自分に言い聞かせ、心の平衡を保とうとした。そのこと自体がすでに歪んでいたというのに、それを認めるには私は若すぎたのだ。多分。
 おまえの力や持って生まれた輝きを目の当たりにすれば、平静ではいられなかった。おまえをかわいいと思っているのに、敵わない自分に怒り、悔しい思いに満たされ、いっそおまえが赤の他人で、憎んでしまえたらもっと楽になれるのではないかと思った。
年を追うごとに修業も進み、おまえの力は明確になっていった。私との力の差は、もう家人たちにも歴然と判るほどに。
自分の心の中が醜い嫉妬で埋め尽くされていく……。

 十八歳の時、おまえのカナリアを殺した。誰にも見つからないように埋めてから、カナリアで済んでよかったという思いと、カナリアなんかでは満たされないという思いとに交互に苛まれた。
 大学は御景から離れ、四国を出て考えてみたかった。
だが、結論はいとも簡単に下された。おまえが、行かないでくれと告げた。私は従わねばならない。それが全てだった。
 それが、おまえの力だ。自分で輝ける恒星。
私は、どんなに間近にいても、 恒星の力を借りねば、輝くことができないちっぽけな惑星にすぎない。
数多の惑星を率いて、己の光を分け与え、生きる場所を与えてやれるそういう種類の人間に請われたら、逆らうことはできない。
ましてあの時、おまえは意図的にそう言ったのではなかった。この家に一人残される不安。あの頃のおまえはただ一人私にだけは、手放しに縋り付いていた。
 ならば、恒星の輝きを支えることのできる、唯一の惑星になるべきではないのか?
おまえの力を知ってしまったあの日から、自分の存在にどのような意味を与えたら良いのか、そればかりを考えていた。おまえを支えられる唯一の存在、それは価値あるもののように思えた。
だが、私がおまえに抱く、昏い思いは決して消し去ることはできなかった。


 おまえが、皮肉にも私が自分の価値に気づかされたと同じ十五歳になったとき、父は次男で妾腹のおまえを次期当主と定めた。
 私は冷静に受け止めた。成人して五年も経つのに、私に何の沙汰もないのはやはりそういうつもりだろうと予想していたから。
 うろたえたのはおまえの方だった。じたばたとあわてるおまえに表面上は優しく、さも当然だと告げながら少し意地悪く眺めていた。十年の月日は私の思いをそこまで屈折させてしまっていた。
 そして、おまえは逃げ出した。
私はといえば、昏い思いを大切に暖めながら何一つ変えることなく今度は、おまえをかばい、御景を支える存在として自分の位置を定めた。
 このままおまえが帰らなければよいとすら思わなかった。そんなことはどうでもよかったのかもしれない。ただ「御景のため」それだけが、私の存在価値だと思うしかいられなかったのだと思う。おまえがいてもいなくても。
 ただ、越えられずに焦がれる対象を目の前に見ずにいられることは、それまでの十年と比べてどんなにか安穏としていたことだろう。
 

  遠野で捨てた筈の命だった。 御景のためにそうすることは、私にとっては救いですらあったのに。
 その遠野と御景との絆を繋いだのはやはりおまえだった。
――――「俺は、御景なんざいらねえんだ!」
根本から本家の存在への意識が違う。
遠野の重要性をわかっているからこそ手放すわけにはいかない。そのために犠牲が必要ならば、他の誰でもない御景の人間が犠牲になるべきで、また、御景の血にはそれだけの価値があるのだと理解していた私とは、絶対に相容れないおまえの意識。家を継ぐと言っておきながら、このくらいの駆け引きもわからないのかと、力があるくせに馬鹿なことを、と悔しさがまた私を襲った。
 普通ならば、私や当主の考えが正しい筈なのに、おまえはそれすらも凌駕し、単純とも言える実直さで流れを変えてしまった。
真っ向から何を鎧うことなく相手に飛び込んでいく。それがおまえの強さの源なのだと改めて見せられた。そして、逆らうことをためらわせ、屈服させるわけでもなく心を開かせていく。
私のように、策を用いたり技術(テクニック)を競ったり、あれこれ小細工を弄したりせずに、無意識にそうして他者を従わせる力を持つおまえには敵わない。そうやっておまえは私を追い詰める。
 

 悪あがきだったというのか…、そうかもしれない。
こういう結果になってしまった今では、単なる悪あがきだったのだろう。
新宿で貸した車を返しにきたおまえが、はっきりと御景を継ぐのは自分で、命令するのも自分だと私に告げたとき、なぜだかホッとして、ああやっと終わったとそう思ったのだった。
今度は、簡単にカナリアを手放しはしないんだな。
 そう、あの使役鬼たちはあのときのカナリアと同じだと気づかされた。
訳も無く衝動的に殺したカナリア。あのカナリアに抱いた思いと、使役鬼たちに抱いた思いは同じものだ。
カナリアを殺したのは、敵わないと思っていても、未だ自分に未練があったせいだ。おまえに自覚はなかったし、義弟であるおまえに屈しきれない悔しさがあったからに違いない。
次期当主を受けたといっても、おまえの中に変化はみられなかった。遠野でのおまえを見ていればそれは明らかだった。御景には未だ私が必要だ、私でなければだめだと、少なくない優越感が無かったとはいえない。
だが、今度は違う。身を呈して使役鬼たちの前に立ったように見えるが、そうではない。立ちはだかったのは、私と御景家に対してだ。
 おまえが愛おしむ物を奪い去る、それがもたらす結果を、自分が冷静に見極めていたと今は思えない。逆に考えれば、その結果が最上のものをもたらすから、あるいはそれしか方法が無いから選んだのではない。おまえが愛おしんでいるから、それが唯一の理由であり、これまでおまえはそれに対してなんの策も持たなかった。
「本家の分裂を止める」そう告げたおまえの眼は桜の下で私を捕らえた強い光があった。思い出した。これが本来のおまえだと。
もう逃げないんだな、と思いながら感じたのは、安堵だったのか、救いだったのか……。私の愚かさを抉り出すその瞳。
 自らの光を知った恒星に、もう支えはいらない。解放されたのだ。そして、あの桜の樹の下へと私の意識は戻っていくのだ。初めて会った時から、すでにおまえのその力は私を縛り、決して届かないことを思い知らされていたのだから。


 解放…、その言葉が心を引っ掻いた。もしかしたら……。
神島隆仁の死は、神島達彦を解放したのだろうか?
さっき達彦らしくないと感じたのは、そのせいなのか?
いずれにせよ、三吾を通して御景に話を持ってきたのは、達彦も三吾を認めたということだろう。
―――同じ形に見えても同じものなどなにもない。全ては変わっていくもの。受け入れるか否定するか違いはそれだけ―――
 京都の神島の本宅に隆仁の弔問に訪れたとき神島桐子が言った言葉だ。
あの男も、変化を受け入れて何かを越えたのだろうか…。
そうだとしたら、この先自分と彼の道とが交わることはもうないだろう。
 三吾が自ら宣言したように、おまえが当主になった時、御景は変わるのだろう。
 それが、良い変化なのか悪い変化なのか私にはわからない。だが、少なくとも三吾と私にとっては良い変化なのだ。そう思いたい。

 安倍仲麻呂の依代を引き受けたい、と申し出たとき私の中には最終確認といった意識があったことは否めない。
 おまえに使役鬼たちを殺せないことは分かっていた。だから、私がやると言ったにもかかわらず、その選択肢自体を却下したおまえが、今回の申し出に、次期当主としてどう対処するのか。今回の件は他の選択肢は無いに等しく、私ほど適任な者もいない筈だから。
五百木が東京から承認するとの回答を持って帰ったとき、いくばくかの寂しさを感じた。その後私を襲ったのは大きな喪失感だった。これで、本当に終わったのだと。もうおまえをかばうことも護ることも必要ない。あの眼は本物だった。

 御景の血を継ぐ者として依代を務め上げる。呪法は生きて成功させねばならない。
それから後には、生まれ変わるのだ。
 屈するのではなく従い、焦がれるのではなく認め、自らを縛る枷を外してその対象を越え、誰よりも恒星に近い惑星として。


 御景眞巳は受話器を置くと、白峰御陵には誰を遣わすのがふさわしいかを側近と相談するために、障子を開けて廊下に出た。
 早春の微かな風を受けてあの桜は、まだ小さいながらもしっかりと花芽をつけていた。冬の厳しい寒さに負けることなく新たな生命を育んでいる。その背景にある空は、三吾のいる東京に続いている。
今年花の下に立つことが叶ったなら、どんな光景が待っているのだろう。
視線を廊下の先に戻し、眞巳は真っ直ぐに前を見据えて歩き出した。
花びらの舞う記憶の呪縛は解けたのだった。


                                                    


 (2004.5.5)


この作品は一度しまさまのサイトに寄贈されたのですが、
そちらが一旦閉鎖されたため、葛城さまのご希望で、しまさまのご了解を得て
ご再開までこちらでお預かりして公開することになりました。
眞巳さんの心のうちをこれほど深く考察した作品はよそで拝見した事がありません。
本当に素晴らしいですね!
眞巳さんのイラストは、今回葛城さま描き下ろしの新作です。

しまさま、ご復活まで大切にお預かりいたします。お早いお帰りをv