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遠い空
くすくすくすと。
聞き慣れた声が聞こえてくる。
この声は………聖?
ころころと変わる表情と同じように、感情豊かな声。
その声を聞いていると、不思議と安心する。
その事に気付いたのは、もう随分前のこと。
決して本人に知らせるつもりなどないけれど。
風に乗って届いてくる香りが鼻をくすぐった。
ああ、日向の匂いだ。
浮上しかけた意識が、ゆっくりと闇へと落ちていく。
眠りに落ちる前の、一瞬の浮遊感がとても気持ちが良かった。
「何だ、気が付いたのかい?」
聞きなれない声にぎょっとして、一気に意識が覚醒する。
「ああ、起きる必要はないよ。そのまま寝ていていいから」
そう言われて、寝ていられるはずがあろうか。
「そんなに慌てて起きなくても良いのに……寝ているお前なんて滅多に見れないからね」
くすくすと笑う主を前に、慌てた様子で高遠は居住まいを正す。
なぜ泰親がここにいるのか、理解できなかった。
「意外と可愛い顔をして眠るのだな」
ふむふむと口元を扇子で隠して呟く泰親。
その姿を優美だなどと思う余裕はない。
「そんなに露骨に嫌そうな顔をしなくても」
いたずらを見つけた子供のように、にっこりと笑う泰親。
それが純真そうに見えるから性質が悪い。
「ああ、なんで私がここにいるのかって?たまにはお前達の家に遊びに来ても良いだろう?……暇だったし」
(暇つぶしにこんな所にまで来ないでください)
喉元まで出かかった言葉を押し留める。
仮にも本家の主に対して言う言葉ではないから。
「鬼同丸は私を見て買い物に行ってしまったよ。なにやら買い忘れがあったとか。……お前は私が来たら迷惑か?」
(迷惑です)
言えるはずのない言葉を胸の中で呟いた。
大体において、泰親は勝手なのだ。
仕事をしたくないと言っては寝て暮らすし、かと思えば息抜きと称して神出鬼没に市井へと出てしまう。
その度に探しまわる羽目になる者の事を少しは考えた事はあるのだろうか。
「そんなに怖い顔をして睨むな。急に来たりして悪かった」
たいして悪びれた様子もなく泰親はひらひらと扇子を振る。
瞬間、扇子に描かれた梅の紋が目に鮮やかな残像を残した。
それに記憶の中の一部が刺激される。
「高遠?」
探るような瞳の泰親。
その瞳を直視できずに、高遠は瞳を逸らした。
どれくらいの時がたったのだろうか。
不意に立ちあがった泰親は、縁から庭へと降りていった。
その先にあるのは紅梅の木。
もうすでに老木と言っても良いほどの年を経たそれは、枝先に小さな蕾を宿していた。
その木に惹かれて、高遠はこの屋敷を選んだ。
泰親に、好きな屋敷に住めば良いと言われ、迷う事なく決めたのだ。
春に花が咲くのを期待していたわけではない。
ただ、その木を見ていたいと思ったから。
ただそれだけの理由でこの家を借りた。
もうすぐ………その花も咲く。
『 こちふかば にほひおこせよ梅の花
あるじなしとて 春な忘れそ 』
凛とした声が、庭に響いた。
「なぁ、高遠。………生きていくのは辛いかい」
ぴんっと伸ばされた背。
その背から何かを窺い知る事は出来ない。
真意を計りかねて高遠は言葉を探す。
しかし返すべき言葉が見つからない。
長い長い沈黙の後。
振り返った泰親は、いつもの顔で笑った。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「またその木を見ているのか?あんたも好きだねぇ」
のんびりとした声。
振りかえると六尺棒を抱えこむようにして縁側に腰掛ける早臣の姿があった。
「ああ、気にせずに見ていて構わないよ。……ってもう見てはいないか」
かしかしと片手で頭をかく。
顔に浮かんだ人当たりの良い笑顔は、既に彼の中で習慣となっているモノ。
まるで子供のような笑顔は、見ているこちらの方まで優しい気持ちになる。
その瞳の中にある微かな、鋭い光に気づかなければの話だが。
「お茶でもどうだい」
早臣は、自分の傍らにあるお茶と干菓子が載った皿を指差す。
茶のみ話でもしようという気なのだろうか。
けれど、弓生はそんな酔狂に付き合う気はない。
「あんたの相棒ならもうすぐ戻ってくるよ。足りない調味料を買いに行くといって出て行ったんだが……一体どこまで買い出しに行ったんだろうねぇ」
のんびりとした声。
ぱりぱりと掴んだ干菓子を口に入れる。
妙に乾いたその音に、弓生は自分の中の警戒心が少しだけ薄れていくのを感じた。
日常の風景の中に、同化していくような感覚を覚える。
まるでずっと昔からそうしていたような、錯覚。
「枯れた木に、花が咲く。それは異常な事なんだろうけど、俺はその光景が好きだよ」
早臣の顔が夕焼けの色に染まり始める。
微かに笑みを浮かべているようなその表情が、ひどく儚いモノに思えた。
「あんたにも見えたんだろう?」
枯れた木に咲く花。
桜吹雪の中に立つ、花魁の姿。
早臣を迎えに来たという彼女は、既に死んでしまっている異形の存在。
死期が近いから、その姿が見えたと目の前の男は言っていた。
ならば自分の死も近いのだろうか。
自分にも、確かに彼女が見えていた。
「俺は死ぬ事は怖くない。……あんたは生きる事が怖くないかい?」
微かな笑みを浮かべたまま、まるで世間話をするように問いかける。
言外に生きていくことが怖いのだと語りながら。
その彼に。
弓生は何か言葉を返そうと口を開くが、かけるべき言葉がみつからない。
いや。
何も、いう事が出来なかったのだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「ゆみちゃん、ゆみちゃ〜んっ」
乱暴に襟元を掴まれ、息苦しさで目が覚めた。
瞳を開けると、怒ったような表情の聖。
目が合った途端、ふっとその瞳から力が抜けた。
「良かった〜っ。やっと目を開けてくれた〜っ」
へなへなと胸の上に倒れこんでくるから、また息が詰りそうになる。
「聖?」
胸の上から乱暴に聖を引き剥がし、起き上がる。
その拍子に濡れたタオルが手の中に落ちてきた。
どうやら額に乗せられていたらしいのだが。
しかし、一体全体何がどうなっている事やら皆目見当がつかない。
「ゆみちゃ〜んっ」
ごろごろと大型犬のようにまとわりついてくる聖を片手で抑えて弓生は居住まいを正す。
どうなっているのか聞きたいのだが、聖は要領を得た答えを教えてくれるとは思えず。
ぐるりと部屋を見まわすと、三吾の姿が目に入った。
……笑いを堪えているような表情が気にくわなかったけれども。
「聖、喉が乾いたから、コーヒーでも入れてくれないか」
言った途端に吹き出す三吾。
それをじろっと睨みつけて、聖を促す。
体のいい時間稼ぎだと見ぬかれたなと思いつつ。
「で?」
いつまでも笑いを止めぬ相手に冷たい視線を送りつつ、事情の説明を求める。
「聖が食器棚から大皿を出す時、バランスを崩してイスの上から落ちそうになったんだって。で、それを支えようとしたあんたの上に聖は落ちたらしい。打ち所が悪くて、あんたはそのまま気を失っていたらしいぜ。まぁ、聖から聞いた話だから細部は違うかもしんねぇけど」
でもまぁ、生きててくれて良かったよ。
ついでのように告げられた台詞にふとひっかかるものを感じる。
「生きてて、良かったのかな、私は」
意識のない間に見た夢の中で問いかけられた言葉。
それに答える事は出来なかったけれども。
言葉にしなかっただけで答えは決まっていた気がする。
「当たり前だろ。なんだよ、どうかしたのか?」
三吾の眉間が心配そうに寄せられる。
ああ、こんな表情が見たかったわけではなかったのに。
「………夢を見ていた。夢の中で何度も生きているのは辛いかと問われたから、な」
「で?」
「え?」
「あんたの答えは、なんだったんだ?」
「否と答えたよ」
無言で見つめてくる三吾の視線に居心地の悪さを感じる。
嘘をつくつもりはなかった。でも他になんと答えれば良いのかわからない。
嘘であり、真実でもある言葉だから。
「ゆみちゃ〜んっ、コーヒー入ったで〜っ」
その場の気まずさを断ち切るような聖の言葉に。
弓生は心底ほっとしてコーヒーを受け取った。
「じゃあ、また来るわ」
「今度くる時には手土産ぐらい持ってきいや」
「至急来いって言ったのはお前だろうがっ」
「そやったかなぁ」
ぽりぽりと頭をかきながら小首をかしげる聖。
「あ、電話やっ。そしたらまたな、三吾」
言った途端、玄関から部屋へと駆け戻る。
しばらくしてリビングから鳴っていたコール音が聞こえなくなった。
「………今日はすまなかったな」
「気にするなって。俺も夕食を食えてラッキーだったよ」
真剣な面持ちで頭を下げる弓生に、軽く手を振って三吾は答える。
「あー……だけど」
「え?」
「もしまた夢で『生きる事が辛いか』と聞かれたら、今度も『否』と答えろよ。………生きている事は罰じゃないんだから」
急に何を言い出すと言おうとしたが、三吾の真剣な瞳に言葉を失う。
「あんたは、幸せになる為に生きているんだろ」
そう告げる言葉と。
記憶の中の言葉が重なる。
『幸せにおなり』
そう言って笑ったのは。
声もあげずに泣いていた自分に手を差し伸べてくれたのは。
…………遠い昔の、彼の人だけだったから。
『幸せにおなり』
風に乗って、優しい声が聞こえた気がした。
たまゆら のフェイさまから、20000ヒットのキリ番リクエストで、「早臣さんの出てくる話」を書いて頂きました。
早臣さんのみならず泰親さまに三吾に、最後は晴明さままで。蓮の大好きなメンバーでの、優しく美しいお話、嬉しいです。
フェイさま、どうもありがとうございました!
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