蒼天の彼方
                  



 ―――天正十六(1588)年 秋。 
 夏の名残を感じさせない涼しい風が庭の萩の花を揺らしていく。
大きな屋敷であるが、ここは庭に囲まれた離れであり、屋敷の外からは幾重にも結界が張られている。
開け放った障子の内にはこの家の当主と、客と思しき僧が向かい合っていた。二人の前には白湯の入った茶碗が置かれていたが、人払いがしてあるらしく周囲に人影はない。
主は三十代半ばから後半のように見える。
僧のほうは剃髪しているのでよくわからないが、おそらく五十過ぎ、かれこれ還暦にも手が届こうかとも見える。にもかかわらず、枯れた様子は伺えず一種異様とも思える強い気を発散している。
どっしりと落ち着いた雰囲気を醸し出している主は、僧の強い気をあっさりと受け流し自分の気を揺らすことなく静かに座っている。
「先年、関白殿は九州征伐にあたって軍監として連れて行かれた黒田官兵衛殿に、平定後は一国を与えると約束していながら、豊前六郡十二万石しか与えなかったと聞き及びますが、関白殿らしくはござらぬと思われませぬか。」
ゆったりと茶碗を置くと、目の前の僧を試すように口を切った。
庭先を眺めていた僧は視線を返すと、臆することなく当主の顔を正面から凝視め、頬を緩めた。
「官兵衛殿もお気の毒に。四国征伐の折も官兵衛殿なしではてこずったでありましょうに、認められながらも警戒されておるのでしょうな。関白殿もよくよく官兵衛殿が恐ろしいらしい。」
僧形と緩めた頬は一見穏やかに見えるが、その眼光は鋭く、投げかけられた言葉を額面通りに受け取ったとは思えない。
この席で、敢えて関白秀吉と、その知恵袋への処遇を話題とする当主の真意もまた、単純には計れない。
その時、廊下で衣擦れの音が近づき静かに座った気配がした。
「お呼びでございますか」
抑揚のない声がそっけなく問うた。
「入れ」
「失礼いたします。」
襖を開き、膝行して部屋に入った男は主に向かって頭を下げた。
「呼び立てて済まなかったな、雷電。お客人が見えたのでね。おまえ達にも関わりのある方なので、引き合わせておく。南光坊殿だ。」
主が雷電と呼ぶ以上、自分のことは知られても構わないということだろう。そう理解したうえで先ほどと同じように感情を表さない冷静な声が発せられた。
「雷電にございます。」
顔を上げて、南光坊と呼ばれた人物を見る。途端に冷静な顔が珍しく驚愕を表し、つぶやいた。
「明智…光秀……」
「ほ…、面妖な。明智殿は小栗栖で名もなき民に討たれたそうな。」
さすがに一瞬で表情を収めた雷電は一礼して詫びた。
「失礼…つかまつりました。」
「名もなき民に討たれたとあっては、光秀公ほどの武将がさぞ悔しい思いをされていることでしょうな。」
「さて、私は光秀公ではありませぬ故、かのお方の恨みなどは存じませぬな、秋川殿。」

ごく普通に答えた声は少しも揺らがない。落ち着き払った態度はいっそ見事なものだ。

「光秀公は、乱世によって怨霊が力を増すことを憂えておられた、と京の神島から聞いておりましたが、残念なことでしたな。」
「それ故神島殿のご意向もあり明智殿の代わりに、拙僧が新たな結界を講じねばと神島殿の元で修行を積んでおった次第でござります。」
「神島からもそのように聞いております。確かに九州の平定も成った今、京の神島に身を寄せられているのはいろいろと不都合でしょう。神島とて秋川を無視して事を進めるわけには行くまい。南光坊殿を奈良へお迎えするのに異存はござりませぬ。こうして身辺警護には本家で最も力強い者たちをお付けする用意を致しております。」
「者たち……ではもう一人も?」
「もちろんです。良くご存知ですな。この者たちは二人一緒に動く時が一番力を発揮するのですよ。かつて信長公の護衛をしていたことはご存知なのでしょう。」
気に染まぬ客であれ、使役鬼を付けるとは今、本家にとって、この男は必要な者のようだ。多分に神島への不満もあるのだろう、先ほどから当主秋川恒久の口調はいつになく辛辣に思える。
対する南光坊の方はかつてとは別人のように、向けられる言葉を聞き流し、いかにも慈悲深い僧のような笑みを浮かべている。
「ありがたいことです。神島興仁殿にもよしなにお伝え願いたい。」
「承知。雷電、酒呑童子とともに南光坊殿の警護を命ずる。詳しいことは追って沙汰する。下がってよい。」
「かしこまりました。」
表情を変えずに一礼すると、静かに退出した。


1 予兆
 
高遠は、飛ぶように歩いていた。奈良への往復も、鬼の身にはたいした距離ではない。

帰る道すがら、秋川恒久と本家の意向をもう一度考えてみたが、神島の内部まではさすがに知ることはできない。まして、神島が光秀とつながりを持っていたことなど今しがたまで全く知らなかった。
どうやらまた少し時代が動くようだ。今度はどの程度なのか。
だが、信長ほど慌ただしく時代を動かせそうな漢(おとこ)は、見当たらない。戦乱が収まりつつある現在、いずれ必要な能力は文官のものになって行くだろう。その意味では光秀は有能だと思うが、それにはまだもう少し時間がかかるだろう。有事と平時両方を仕切れる能力が今しばらくは必要に思える。
まだ、わからない事が多すぎる。いずれにせよ、我々を動かすのは本家の鬼使いだ。そう結論をつけたときには、自分たちの住まいに着いていた。
金木犀の香りを潜って小屋に入ると裏庭から薪を割る音が響いていた。
粗末な小屋であるが、鬼である自分たちはさして困ることもない。外見に変化のないことを訝しく思う輩が現れないとも限らないので、何時も人の少ない奥地に住むことにしている。
ここには秋川が鬼使いになって以来居住している。用がある時には秋川から式が来る。

「なんや、高遠帰っとったんか。戻ったら声くらいかけたらええのに。」
汗を拭きながら鬼同丸が入ってきた。
「相変わらず騒々しいな。」
「恒久の用事てなんやったん?」
「人を護れ、と。詳しいことはまた改めてということで、その人物に会って来た。」
「ふうん。信長みたいにおもろい奴やったらええな。俺はあいつ好きやったのにな」
「仕方あるまい。奴は封じも何も考えず終いには自分が神だとまで言い出したのだから、本家でなくとも、ずっと庇い立てするわけにはいかなかっただろう。」
「でも、あいつのおかげで乱世に跋扈しとった怨霊たちも静かになったんは事実やろ。あいつが京を押さえるまでは酷い有様だったのは高遠も認めるやろ?俺らかて忙しくてかなわんかったわ。」
「確かにな。末法末法と騒いでいた頃といい勝負だったな。」
「で、どんな奴なん?」
「なにが。」
「今度護れっちゅう奴に決まっとるやろ。」
「明智光秀。」
「ふうん…………。って!ちょっと待て。光秀言うたら本能寺で信長を討った奴やないか!なんで、そないなことになるん?そもそも光秀は死んだ筈や。」
「光秀が討たれたというのはどうやら嘘だな。しかも本家が絡んでいるらしい。そのくらいの工作は本家なら朝飯前だからな。」
「京ってことは、神島か。」
「おそらくな。」
「今度の当主は野心家らしいな。神島を継いで、まだ幾らもたっとらんかったな。 なんちゅう名前やったかいな。」
「神島興仁。」
「そやそや、そないな名前やったわ。高遠会うたことあるか?」
「いや、遠目にちらと見たことがあるだけだ。」
「恒久に食いついて、神島の力を伸ばそうと考えとるんかいな。」
「さあな。そこまではわからん。だが、今は秀吉が天下を握っている。光秀と秀吉は昔からそりが合わないからな。それに光秀は公家にも顔が広い。京の神島では都合が悪いのだろう。神島にしても、これ以上独断で動けば、それこそ本家での立場もまずかろう。御景だって口を出してこないとも限らんから、恒久に話を通して奈良に寄越したんだろう。」
「そやけど、俺らが護るほどのことかいな。」
「詳しいことはわからんが、光秀という男も喰えない男だ。剃髪して南光坊と名乗っている。嘘か本当か知らんが、神島で修行をしていたとか言っていたな。本家は本能寺の事件では家康を護ったのだから、秀吉ではなく家康に何か仕掛けるのか、それなら光秀も役に立とう。」
「光秀は、生真面目一辺倒のつまらん奴やと思とったがなあ。家康いうのんも、相当に喰えん奴やったろ。」
「なるほど、家康への対抗手段かもしれんな……。」
鬼同丸の言葉に、南光坊の以前とは全く違う印象に一人呟ちる。
光秀という男は心情を隠そうとしても上手くいかない不器用さがあったが、南光坊には得体の知れない不気味さがあった。それでも、別人ではありえない。本能寺を経て光秀の中で何かが変わったのだろうか。神島家にいる間に影響を受けた部分もあろう。元々学者肌の光秀だ、神島でまたいろいろと知識を仕入れてなにか企んでいるのかもしれない。
なんにせよ、秋川恒久はかなり警戒心も持っていたようだった。恒久の警戒心は南光坊に対してだろうか、それとも神島興仁に対してだろうか。
暮れ始めた外は急速に色を失い、煩いほどの虫の声が耳についた。


2 恒久
 
秋川から式が来たのは年が明けた天正十七(1589)年の初夏であった。
高遠が秋川の屋敷に入ると、恒久は人払いした奥で待っていた。
南光坊が、来年常陸信田庄の不動院に移るという。その為、一度常陸まで行くその護衛をするように、との命令だった。
恒久の様子に、訝しさを覚えた高遠はいつになく尋ねてみた。
「何か、特別な危険が予想されましょうか?」
「今のところそれはない。南光坊自身もそれなりの術の使い手であるし、実際お前たちの護衛はさして必要ない。むしろ人の方が問題だ。」
「とおっしゃいますと?」
「南光坊は神島に顔を出してから畿内を出たいと希望している。そしてその後駿府に寄る。」
「家康公にお目通りを?」
「南光坊との会見を望んでいるのは家康の方だ。家康も南光坊が何者かは知っている筈だ。家康と南光坊が会うのは本家としても願ったり叶ったりだ。家康の狙いもおそらく私の予想通りだろうと思う。本家は元々秀吉ではなく家康を望んでいたのだからな。それを、偶然が重なり秀吉が天下を握ってしまった。秀吉に天下取りを示唆した張本人が秀吉に警戒されているのは、端から見ていておもしろいがな。ちと時間がかかりすぎている。」
「黒田殿ですか。」
「そうだ。奴のおかげですっかり狂ってしまった。一時はどうなることかと思ったが、黒田も警戒するには当たらないようだ。ただ、家康はやきもきしていることだろう。」
「家康公は、本家を頼っておられるのでしょうか。」
「向こうは本家を利用しようとしているのであろうよ。こちらも利用しようとしているのだ。お互い様というわけだな。そこへ、南光坊という予定外の人物が関わってきた。しかも神島絡みで、だ。」
「明智殿の生存は予定外だと?」
「無論だ。本能寺以前から光秀は興仁と面識があったらしい。京は神島の管轄だ。本能寺の後光秀が飛び込んだのか興仁が呼び込んだのか、いずれにせよ神島が匿った。しかも、光秀の知識と霊力は侮れない。なれば、こちらに取り込んだほうが得策。こうなった今、一番の厄介は同じ本家の神島という訳だ。」
 事ここに至って、やっと恒久の怒りに得心がいった。光秀を最初に拾ったのは神島だ。義理堅い光秀と野心家の神島当主、本家の鬼使いとしては、原因の一端に神島が絡んでいることが厄介を通り越して、不快、不穏を感じるのであろう。
「神島までは共に行け。さすがに使役鬼であろうと神島の屋敷内には正面からしか入れんだろうからな。
神島興仁は油断がならん。会見の詳細が知りたい。相手も本家だ。お前でも、どの程度知れるかわからんがな。駿府の方は表立って行かなくとも大丈夫だろう。酒呑童子についてはお前に任せる。」
「かしこまりました。」


3 神島

「そんなん、ついて行くに決まっとるわ。一人でこんな山奥におってもつまらん。箱根のお山越えるなんて、何百年振りやないか?光秀が一緒やいうのがちと気にくわんけどな。ま、ええわ。」
 やっぱりな…高遠は密かにため息をつきながら内心、お前それは逆だろう、光秀が行くから俺達がついていくのだから…とひややかに相棒を見遣る。
 そんなことには頓着しない鬼同丸はいそいそと小屋の周りを片付けに出て行った。
 どんなものかと多少の危惧をもって道中に臨んだ高遠だったが、南光坊はいかにも僧らしく悠然と鬼同丸を迎え、鬼同丸の同行をいたく喜んだ。鬼同丸とて伊達に五百年もの月日を生きてきた訳ではない。そつのない会話でむしろ道連れとしては、鬼同丸の方が適役かもしれない。
 神島の屋敷近くで、高遠は鬼同丸に待っているよう告げた。会見の詳細を求めている秋川恒久の意向を汲むには、おそらく鬼同丸は不適だと思ったからだ。鬼同丸の方も、面倒な本家との会見など鬱陶しいだけなのでこれ幸いとばかりに言った。
「そか、なら久々に京見物でもしとるわ。」
ひらひらと手を振って離れて行く姿を見送る南光坊は、曖昧な微笑を浮かべている。
 京の神島の屋敷は何十年ぶりだろうか。変わらない屋敷を見上げてそんなことを思い、南光坊の後ろから邸内に入った。
「おまえが雷電か。鬼というが綺麗な顔だの。いや、人でない故の美しさか。」
部屋に入ってくるなり、座らないうちから大きな声が降ってきた。
客人は南光坊の方だと思うのだが、神島興仁の興味はどうやら使役鬼の方らしかった。

「お久しぶりにござります。」
深々と頭を下げた南光坊はそんな興仁には慣れているようで、いっかな驚いた様子も不快げな様子も見せない。
「元気そうで何より。秋川はいかがかな。不便などござらぬか。」
「何一つ。」
「結構。」
一言告げると高遠の方に向き直り、身を乗り出した。
「雷電、どうせ酒呑童子も一緒であろう。折角だ、連れて参れ。」
「は……。」
「秋川の当主殿のことだ、ここでの話を聞きたがっていたであろう?何も隠し立てすることなどありはせぬわ。込み入ったことは好かぬ。酒呑童子もそうであろうが。ゆえに連れて参っても奴も困らぬぞ。おまえも、あれこれ報告に気を使わずにすむであろう。式を飛ばしてやるからすぐに来るように伝えよ。」
「ほほ……。興仁殿、のっけからそのようにおっしゃられては、雷電殿が目を白黒させておられますぞ。」
こうなるであろうことは予想していたような南光坊の言葉に、先ほどの曖昧な笑みの意味と鬼同丸の同行を喜んだ南光坊の意図を今更理解した高遠である。
これはまた本家の人間らしからぬ奔放さだ、と呆れながらも、この神島の当主とは今後も無縁ではあるまいとの確かな波乱の予感を覚えていた。
「せっかく、久々に京見物しょうと思とったのに、一体何の用や。高遠が居れば用はすむやろ。」
鬼同丸の大きな声が響いて来る。案内の神島の家人が何か言っているようだが、そちらの声はほとんど聞こえてこない。
 あああ…と心の中で頭を抱えた高遠を驚かせたのは、式を放って以来南光坊も放ったまま、天井を睨んで鼻毛を抜いていた神島興仁が立ち上がったことだった。つかつかと廊下に顔を出すと、鬼同丸に負けない声で叫んだ。
「おお、酒呑童子か。呼びつけて悪かったな。待っておったぞ。」
「なんや、おまえ。神島興仁か?」
「おうよ。折角ここまで参ったのに仲間はずれは面白くなかろう?」
そう言って鬼同丸を部屋に招き入れた。
 興仁はどっかりと腰を据えると、高遠と鬼同丸をとっくりと眺め、満足気に頷くと、いささか大きな声で改めて名乗った。
「神島家当主興仁だ。本家の使役鬼だな。鬼使いが神島から秋川に移って久しいが、おまえたちにとっては、むろんこの屋敷も初めてではなかろう?」
 どのような意図をもって聞かれたことなのか、しばし躊躇した高遠であったが、鬼同丸の呑気な声が耳を打った。
「そやなあ。奈良へ行って随分になるなあ。しっかしおまえ、本家の当主らしくない奴っちゃなあ。」
「そうか。それは嬉しいことを言ってくれる。酒呑童子、おまえは本家の当主は嫌いか。」

「別にそないなこと、考えたこともないわ。みんな、それぞれ一所懸命にやっとったんやろうし。」
「ほう、寛大だな。俺は本家の辛気臭さは嫌いだ。他家は良く知らんが、神島は暗いぞ。俺は自分が当主になったら少しは居心地良くしたいものだと、ずっと思っていた。まあ、神島も他家もお前たちのほうが良く知っていることであろうが。もう一つ、当主になったらやってみたいことがあってな。」
そう言って神妙に控える高遠と、あっけらかんと見つめる鬼同丸を眺めると、不敵な笑みを見せた。元々顔の造作は悪くない。男らしいすっきりとした顔立ちだが、そんな笑みを浮かべると不思議な魅力を醸し出す。
「本家の当主になった以上、是非とも使役鬼を使ってみたいと思っている。」
高遠は思わず息を呑んだ。これは、堂々たる宣戦布告ではないか。
そして、先ほどはなんと言った?秋川へ戻ったら、隠し立てせずに全て恒久に話せとそう言わなかったか?
確かに、再び時代が動くのだ。しかも自分の身近で。先ほど感じた予感はこれか、と確認したと同時に、一気に冷静さが戻ってくる。驚くべきことではない。これまでも、これからも続いていることだ。そう思った途端、緊張も解けた。
「おまえ、本家の当主どころか、ちっとも神島の人間らしくないなあ。」
のほほんとした鬼同丸の声が聞こえている。頼もしい相棒だ、と思いながら改めて神島興仁の顔をはっきりと刻み込んだ。
「さて、興仁殿、そろそろ本題に入ってもよろしいかな?」
それまで、黙っていた南光坊が口を挟んだ。
「おう、そうであった。南光坊殿、お待たせして済まなんだ。いや話は簡単よ。家康に会ったら、安心召され、本家はしっかと引き受けたとお伝え下され。」
「この南光坊もお手伝いさせていただけるのかの?」
「いや、今回は秋川も噛むであろうから本家だけで充分であろう。御坊は関東をしっかりと検分して参られよ。いずれ必ず役に立つであろうからの。」
「では、興仁殿に全てお任せして、拙僧は少しも早く関東へ向かうとしましょう。」
「鬼を二人も従えて、南光坊殿怖いものなど何も無いな。 雷電、酒呑童子、神島からもしっかり護衛を頼むぞ。駿府へもどうせ潜り込むのであろう?南光坊殿と一緒なら正面から行ったほうが話が早いぞ。とまあ、これはこの興仁からの忠告だ。早く直接命令を下したいものよ。」
「恐れながら……」
それまで、なんとか話の内容を汲み取ろうと聞いていた高遠だったが、興仁と南光坊の間で当然のように進められる話は、あまりに取っ掛かりがなく、ついに降参した。
「秋川家からは何も申しつけられておりませぬが、少しご説明いただけるとありがたいのですが。」
「ほほ…、その点はこの南光坊も証明致しますよ。秋川殿は何もおっしゃっておらぬ。ま、秋川殿とてある程度予想はついておりましょうが……。」
「ははは。そうであったの。これは秋川殿のあずかり知らぬこと、真面目な土師高遠には面喰うことであっただろう。」
そう言って、今度は面白そうに笑った。それから、強い光を宿した瞳を高遠に向けた。

「だが、今から言うように事は動くから案ずるな。まず、家康は淀殿の懐妊を気にしている。今回南光坊殿が駿府へ行くのはその対策。秀吉の子を望まぬのは本家も同じこと。家康からは呪詛の依頼がある。もうあったのであったか?いずれにせよ、そう持って行けば良いこと。それを本家は受けるということだ。この件に関しては恒久も必ず受けるから安心せよ。本家としては願ってもないことだからな。このあたりについては、雷電も承知であろう?」
いつの間にか秋川殿から恒久になっている。興仁の中では既に出来上がった計画に秋川恒久も組み込まれているのであろう。何度も浚ったことを確認するような言い方だ。確かに淀殿の子を呪詛せよと言われたら、恒久は受けるであろうことは高遠にも予想がついた。
そして、それを当然のように計画し、実行しようとしている神島興仁。やはりこの男の動向は目が離せない。そしてそれは秋川恒久の為ではない。俺と鬼同丸の処遇に関わるからだと、この屈託のなさ過ぎる神島の当主に頭を下げた。


4 駿府

「なあ、坊主。おまえ、家康とは親しいんか?」
「さあ、どうであろうの。」
「神島興仁とはいつからの知り合いや?」
「はて、いつであったかの。」
「はああ、たいしたもんや。俺の知っとる光秀とはえらい違いや。」
「わしは光秀公は存じ上げないがの。」
「もう、ええわ。それにしても興仁はおもろい奴や。たまに本家にも妙な奴が出るけど、あいつはまた桁違いな気ィするわ。ちィっと信長に似とるような感じもするな。」
鬼同丸との禅問答のような掛け合いを聞きながら、南光坊を見ていた高遠は、かすかだが信長という言葉に南光坊の表情が動いたのを見逃さなかった。
悔いているのか?だが、そんな風ではなかった。懐かしむような暖かい感情が動いたように思えたが、気のせいかもしれない。いずれにしても、謎が多い御仁であることに変わりはない。そして油断のならない人物であることも、神島での会見で充分判った。駿府へは、興仁の忠告通り、南光坊について行くことにしよう。神島であれだけはっきり言われてしまっては、別行動をとっても南光坊にはなんの意味もなさない。問題は鬼同丸だが、すっかり面白がっている相棒が席を外すとは思えない。
そんな訳で三人揃って駿府城の座敷に並ぶことになった。
 秋川からの先触れがあったのだろう。さして待たせず家康は現れた。南光坊といい勝負ができそうなすっとぼけた顔をして、それでも軽くは見えないところがたいしたものだ。
「一別以来、お久しゅうござりまする。」
「左様でござるな。息災でなによりに存ずる。さすがの家康も南光坊殿に関してはいささか驚き申した。」
「恐れ入ってござりまする。されど、これもご縁。今後は思う存分働かせていただければ有難く存じます。」
「そちらのお二人には本能寺の際、大変お世話になったかと記憶致しておるが。」
「本家の御当主殿の側近くにお仕えになっておられる方々でござります。」
南光坊の言葉に高遠と鬼同丸は神妙に頭を下げた。
「御当主殿の。それで、あの折にも素早く動かれたのですな。本家の方であるとは存じておりましたが、御当主殿直々の方々が動いて下されたとは恐縮です。家康からくれぐれもよろしく申しておったと御当主殿にお伝えくだされ。」
「本家といえば、この南光坊、家康殿には感謝の言葉もござりませぬ。思えば、家康殿の饗応役を仰せつかったことが、今こうして居ることに繋がるとは誰が存じましょうか。」
「あの頃は、随分と悩まれておいでのご様子でしたからな。長篠の陣中での織田殿のお怒りもこの目で見ておったしの。」
「長篠では、私の失言が原因ではありましたから…。しかし、家康殿始め、御家中の方々のおられる面前での打擲は確かに耐え難いものがありました。」
「命じられた森蘭丸殿も苦しげに見えました。しかし、織田殿の手前、手加減もできなかったのでしょう。」
「叡山の焼き討ちからこっち、私の気持ちは落ち着くことがございませんでした。それが、やはり、どこかに現れてしまっていたのでしょう。」
「安土見物の饗応役として、お目にかかることができ、神島殿との仲立ちが出来ましたのもまたご縁でしょう。」
「あの折、まだ神島家を継いでおられなかった興仁殿ととくと語らうことができましたお陰で、こうしてお役に立つこともできるというものです。ところで、此度はどのような。」
 話が核心に入ったとみるや、ゆっくりとまばたきすると何一つ変わらない家康の佇まいに張り詰めた空気を醸し出したのはさすがだ。だが、その変化はよほどの者でなければ気づくまい。
「大坂に異変があったとはお聞き及びか。」
「そのようでござりますな。」
「なんとかなるかの。」
「神島殿のお手を借りまするか。」
「お受けいただけるかの。」
「おそらくは。ただ、今私がご厄介になっておりますのは、京の興仁殿ではなく同じ本家でも、奈良の秋川家でござります。さすれば、まずは秋川家にお願いすることになりますが、よろしいでしょうか」
「おことの見るところ、いかがなものかな。」
「秋川の御当主は、現在の本家三家を束ねておられます。京にお願いするよりも確実かと。御当主恒久殿も、ご信頼に足る方と存じます。本家の力を持ってすればお望みどおりに。」
「秋川殿も神島殿と同じお考えをお持ちかの。」
「その点はご心配要りませぬ。」
うーむと眠るように目を閉じて、しばらく思索に耽っていた家康は、おもむろに目を開くと、まだ半分眠っているように見える目を高遠と鬼同丸に向けた。
一見愚鈍にさえ見えるような仕草であるが、その実家康の視線は恐ろしい程の光を持っていた。受け止めた高遠は礼に則って一礼した。鬼同丸はしばし見つめ返した挙句、ニヤリと笑った。それを見た家康はわずかに頬を緩め、ゆっくりと頷いた。
「ふうむ。会うたことがあるのは興仁殿のみであると思うていたが、ここなお二方とも共に旅をしておったな。」
「そや、めったに出来へん旅やで。」
「いかにも。左様であったの。」
それで、会見は終了した。


5 拾丸

文禄二(1593)年夏、大坂城で、関白秀吉の側室淀殿は再び男児を産んだ。名を拾丸という。長男鶴松が亡くなったのは二年前の天正十九(1591)年のことだった。病死ということだが、実際は変死といえるだろう。
天下は未だ定着したとは言えず、あちこちで小さな動きは絶えなかった。
高遠と鬼同丸が駿府で家康と会見した天正十七年(1589)年、豊前中津では、秀吉の警戒心に留意した黒田官兵衛は、家督を長政に譲り如水と号したが、秀吉は彼の才能を手放さず、軍監として意見を求め、隠居は許さなかった。
翌年には、南光坊は常陸へ移り、家康までが江戸へ国替えになり関東へ移った。おかげで使役鬼たちは、奈良の秋川と、江戸の家康、時には常陸の南光坊の間を飛び回ることになり、実際に本家が動くまでには思いのほか時間がかかってしまった。

慶長元(1596)年、高遠は京にいた。家康は内大臣に任じられ、上京していた。
秋川恒久の使いとして家康の元を訪れた高遠は、そこで意外な人物に出会った。神島の当主自らが家康と向き合っていた。
「これは、雷電ではないか。久しいのう。」
家康より先に大きな声を上げた。
「恒久殿もそろそろと思うたか。気が合うな。家康殿。」
「さよう。」
「御明察恐れ入ります。神島家では、御当主御自らのお越しとは。」
「なに、俺は昔から自分の脚と目で物事を判断したい性質でな。それでも当主を継いでからはおとなしくしているのさ。以前はもっと身軽だったからな、太宰府まで行って菅公に挨拶してこの眼で飛梅を見てきたこともあるわ。此度は家康殿が京までお越しだ、神島からは庭のようなものよ。」
「鶴松の件では、世話になった。まこと本家の力、恐れ入ったものよ。」
「あの折には、秋川から神島家、讃岐の御景家へご助力を願いました。こちらの興仁殿のお力も大きかった所以でござります。」
「雷電、家康殿には神島も秋川もない。本家は本家だ。俺へはそんな辞令はいらぬ。おまえこそ、神島でも充分にやって行けるぞ。」
そう言って、高遠の表情を眺めると面白そうに笑う。
「秋川殿も頃合とお考えかな。」
興仁の笑いが収まると家康が口を開いた。
「はい。」
「それはちょうど良いな。雷電はこのまま神島へ来い。時に家康殿、南光坊殿は息災かな。」
「関東で、あちこちの社寺を巡り、呪力結界を検証しておられる。あのお年で驚き入ったものよ。」
「家康殿も、江戸城をしっかり護ってもらうが良い。南光坊殿の力もなかなかのものだからな。では、俺は先に帰る、雷電待っているぞ。」
 初めて会ってから8年も経つというのに、神島興仁は少しも変わらない。相変わらず傍若無人のようだし、精力的な印象もそのままだ。
本家は家康を望んでいると言っている秋川恒久よりも、神島興仁の方が家康や南光坊と深いつながりを持っているように見える。確かに今、本家の決定権は秋川にあるが、高遠は神島興仁の野望も知っている。だが、これまでのところ、興仁が積極的に本家の鬼使い簒奪に動いたことはない。
 秋川からの口上を述べ、問われた鬼同丸のことなど答えて家康の元を辞し、神島家に向かう。
「いやあ、ご苦労。」
座る前から大きな声を降らせて、興仁が部屋に入ってきた。黙って頭を下げる高遠に向き合うと、ニヤリと笑って言葉を継いだ。
「済まんが、ちと頼まれてくれぬかのう。急ぎ届けて貰いたい物があるのだが、ちと遠くてな、お前の足なら都合が良いのだ。頼まれてくれぬか。恒久殿には断っておくゆえ。」
「は、しかし…。」
「南光坊の用だからな、恒久も断れぬさ。拾の件もまんざら関係ない訳ではない。」
「……。どちらまで。」
「豊前、中津城だ。」
「黒田如水殿でございますか。」
驚く高遠を無視して、淡々と告げる。
「南光坊殿からということなら、恒久殿も文句は言えまい?」
つまりは神島の、興仁の使いということだ。
最初に告げられた興仁の野心を、高遠は恒久に報告していない。明確な理由はないが強いて言えば、長年の勘とでも言おうか。本家三家の何処の誰が鬼使いになろうが、使役鬼としては何も変わらないというのも理由の一つかも知れない。
 興仁は身軽に立ち上がると、文箱から文を取り出した。署名は南光坊のものだ。
「これを、如水直々に届けて欲しい。何日掛かる。」
「余裕をもって戻るのに三、四日もあれば。」
「結構。」
高遠が文を懐に仕舞うのを待って、興仁は当然のことを告げるような口調で言葉を継いだ。
「それからな、今回の呪詛には神島は加わらない。」
高遠は、次の言葉を待って興仁を見上げた。この文を受け取った時から、覚悟は決めた。これは必ず、何かの鍵に違いない。だが、神島が加わらないのならその理由を恒久に伝えねばならない。
「先日の大地震で、畿内の結界に緩みが生じている。故に神島は忙しい。」
伏見城の天守閣が大破し、圧死者が600人も出たという。秀吉自身も城外へ避難したと聞く大地震だった。
 そっけなく、それだけ言うと意味深な瞳で高遠を見つめる。無表情の高遠を認めると大きく頷いた。
「豊前から直接秋川に帰って良い。」
そう告げると、背を向けて部屋を出て行った。


6 鬼使

 何故だ……?秋川恒久の力がそんなに弱い筈がない。
奈良で当主恒久が倒れた。本家の人間が見ればわかる。これは呪か、呪返しだ。拾丸はまだ四歳。本人にそのような力があるわけがない。拾丸の周囲にそういった人物を置いたという話も聞かない。
 今回、秋川単独であったことを差し引いても、恒久が倒れるような事態は考えられなかった。
 御景は秀吉の四国征伐後、乱れた結界を修復するなど本家として忙しく働いていたのだが、長宗我部一族など、生きている者たちとも関わらない訳には行かず、手違いから生じた戦で拾丸が生まれた文禄二年、当主の御景頼氏を亡くしていた。嫡子頼綱は未だ十歳。頼氏の母である頼綱の祖母が後見してはいたが、彼女は先代の妻で霊力も低い。側近たちの力で御景はなんとかやっているが、それが精一杯だ。
 そして、神島は高遠に告げた通り地震を理由に今回は外れた。恒久は家康と南光坊と本家が、良しと見切った時期を違えるのは潔しとせず、秋川が単独で拾丸の呪詛を開始した。恒久自身の力に不足があったとは思えず、他家からも、それなりの術者が出て協力していた筈だ。
 秋川ではやむを得ず全てを中止して、御景、神島そして家康と南光坊に使いを走らせた。文字通り拾丸は命を拾ったのである。
 数日後、秋川恒久は枕辺に高遠を呼んだ。
「天下取りにかこつけて、本家をも巻き込もうと仕掛けた者がいる…。本家の存在を知り、本家を潰したいと考えるものはそう多くない筈だ。あるいは土御門が絡んでいるのやも知れぬ。側近たちも秋川が一番被害を被っている筈だ。恒則は、事態を収拾できぬだろう。あ奴にはそういう裏を読んで動かす力はない。素直すぎるのも乱世には罪だ。御景も今は動けぬだろう。家康と南光坊の事もある。やむをえん、後事は神島に任せよう。この恒久これまで本家当主をやってきて、これほどに口惜しいことはない。」
恒久には恒則という二十二歳になる息子がいる。真面目な好青年で霊力もそこそこあるが、確かに今三家を仕切っていく力はないだろう。秋川家だけでもなんとか動かせれば現時点では及第だろう。これから側近くに置いて本家の当主として本格的に仕込んで行くつもりであったことも高遠は知っていた。この状態で神島に後事を託せば、鬼使いの資格を手放すことになるだろうことは簡単に予想された。だが、他に方法がない。恒久がその決断をつけるだけの器量を持っていたことは本家としては感謝すべきであろう。

「来たな。」
慶長四(1599)年春。南光坊と共に初めて興仁と顔をあわせた座敷で、神島興仁は満面の笑みを浮かべて高遠と鬼同丸を迎えた。
 秋川恒久は、一年半の間、恒則を代理に立て何とか本家を仕切ってきたが、昨年五月ついに力尽きた。その三ヵ月後、八月には関白秀吉が没した。本家は侃々諤々の挙句、この難しい時期にやはり恒則では心許ないという結論を出し、鬼使いの座は神島に移ることになった。
年が改まり、高遠と鬼同丸は長年住んだ小屋を片付け、京に移ってきたのだった。
「待っていたぞ。使役鬼を使えるようになるのに十年かかった。まだまだ、俺はやらねばならぬことがたくさんある。南光坊も家康もまだまだ役に立つ筈だ。楽しくなるのう。」
「久しぶりやな、興仁。どや、神島は十年で少しは変わったんか。」
「おまえはどう思う。少なくとも俺自身は周りに文句を言われなくなったぞ。」
「へえぇ、神島のうるさ型が文句垂れなくなったんか、そらたいしたもんや。ほな、俺も少しは窮屈な思いせんで済むかもしれんな。」
「相変わらず、おまえは小気味良い。雷電はどうだ。」
「よろしくお願い申し上げます。」
すでに、改めて挨拶するほど知らぬ訳でもない。興仁に確かめたいことを今問うべきか、しばし迷っていると、再び大きな声が呼んだ。
「雷電、俺は鬼使いだ。今後のためにも腹を割ってすっきりしておいた方が互いにやり易かろう。」
「幾つかお聞きしたき儀がござります。」
「当然だな。何から聞きたい。」
「まずは、恒久殿の倒れた理由を。」
「あれは、南光坊と黒田如水だ。」
「黒田……。」
「そうだ、雷電。おまえが恒久の髪を如水に届けたであろう。」
そう言うと、あの時と同じように高遠の瞳を覗き込み、例の不思議な魅力を湛えた不敵な笑みを浮かべた。
あの文。
では南光坊は奈良に居るときに既に恒久に呪をかける準備をしていたのか。神島と南光坊の間にはどんな協定があるのか。そして、南光坊と黒田には一体どんなつながりがあるというのか。
「南光坊殿が黒田殿と親しいとは存じませんでした。」
「南光坊ではない。家康が如水とは懇意にしている。したが、秀吉の手前家康の名では文は送れぬ。だが、あの文は違う。如水も律儀な男でな。鶴松の死因を薄々感づいていた。あれだけ秀吉に警戒されながらも、拾の身辺を気遣っていたからな、俺が教えてやったのさ、拾も呪殺されるかもしれぬと。そして、家康からだと言って拾を呪殺する可能性の高い者の髪だと送りつけたのがあの文さ。どう使うかは如水次第だった。結果としては俺の望んだとおりの使い方をしてくれたという訳だ。如水一人では、本家に太刀打ちできるはずもない。それを補助していたのが、南光坊という訳さ。」
「そんなら、秋川を潰したんは、おまえか興仁。」
「そういうことになるな。」
激しい調子で割り込んできた鬼同丸の言葉には、当然とばかりにそっけなく答える。そして鬼同丸の方を向いて、納得の行かない表情の鬼同丸を正面から覗き込む。
「だがな酒呑童子、俺は恒則の出来ないことをやるぞ。そしてそれは恒久が望んだこと、それ以上のことだ。恒則ではできない。だから俺が本家を動かす。秋川を潰したのではない、本家を生かしたのさ。家康を欲したのは恒久だろう。それは間違いじゃない。これからは家康がこの日の本を仕切る。そして、時の政治権力と結ぶのはこれも正解だ。そんなことはこの本家の祖、安倍晴明ですら藤原道長の庇護を受けていたことを見れば非難されることじゃないな。そうだろう。」
感情的に納得できなくても、道理は理解できる。 考えてみればこの五百年そんなことばかりだったではないか。それに、高遠にも鬼同丸にも選択権はない。ここまで、あけすけに話してくれる鬼使いのほうが珍しいのだ。
「家康は、江戸を本拠地にするつもりだ。神島も、いや本家も関東を手中に治めねばならん。京は、それこそ晴明の時代から幾度も結界を張り続け、張り直し、少しのことでは揺るがない。近くには奈良の秋川もある。神島は本家として関東の守護を完成させねばならん。家康の江戸城も呪術的には丸裸だからな。すべてこれからだ。神島の本拠は京だ。それを変えるつもりはない。だが、江戸も第二の本拠くらいに考えねばならんと思っている。そのためには、南光坊も家康も重要な駒という訳だ。そして、その為に神島は鬼使いになる必要があったという訳さ。しかし、本家の使役鬼というのが、おまえたちで俺は嬉しい。なんにせよ、いくら役に立っても嫌な奴と仕事をするのは滅入るからな。大きな仕事になるぞ。本家にとっても、この日本にとってもな。」
 そう言って、からからと笑った。

 この年、南光坊は武蔵国入間郡仙波の北院(喜多院)に移り、天海と改名する。
翌慶長五(1600)年、関が原の合戦で、家康の東軍は勝利を収める。
この時、黒田如水は九州を支配下に治めて、中央に進出し関が原の勝者を倒して天下を取ろうとした、という噂もある。が、実際には関が原の勝敗が早く着いてしまったため、時間の余裕がなかった。息子の長政が東軍で手柄を立て筑前一国を与えられたが、九州での動きを警戒した家康は如水には何の恩賞も与えなかったという。
 その後、家康から上方で領地を与えると言われても断り、隠居として過ごし慶長九(1604)年伏見の黒田藩邸で死去した。
 慶長八(1603)年、家康は江戸に幕府を開く。
 神島興仁が、南光坊天海、二人の使役鬼と共に本格的に動き出すのは江戸開幕後のことである。



(2004.11.29)


葛城さまからまたまた頂きものです!
重厚に歴史物。でも高遠主義者にとっては、生真面目な高遠が可愛くてツボです♪
最初に当館にお話を下さってから先月で1年。デビュー1周年記念の素晴らしいお話でした。
葛城さま、どうもありがとうございました