邂 逅


冬ながら 空より花の 散り来るは
        雲のあなたは 春にやあるらん

あれは何時のことだったろう、幼少時、私は体が弱かった。気温の変化に繊細なからだ。自分に向けられる感情に鋭敏な心。暑いと瞬く間に食欲は落ち、寒いと直ぐに風邪を引く。
雪の舞うあの日も、熱にうなされながら一人静かに寝ていた達彦は、障子の開く音にうっすらと潤んでいる瞳を向けた。
差し込んでくる日の光に遮られ、黒い大きな影が映る。
「お加減は如何ですか。達彦様」
感情の乏しい、物静かな声が聞こえる。
ああ、この声は・・・神島の使役鬼の一人。綺麗な顔をした背の高い鬼の顔を即座に思い浮かべることが出来た。
ーー雷電ーー
頻繁に寝込む達彦の元に来る者などいないのに、こいつは何をしに来たのだろう?
声を出そうにも、痛くて喋ることも億劫である。
「喉が痛くはございませんか」」
少し表情を和らげ、音もなくすうっと近付き枕もとにがさがさした物を置く。
何?
「花梨の飴は喉の痛みによく効く、と鬼同丸が持たせたのです」
もう一人の鬼の名前を言う。
口の中で甘酸っぱい味が広がっていく。少し喉の痛みが取れたような気がした。
「人としての名は・・・」
傍らに控えていた鬼に、問う。
「志島弓生と申します」


あのころの達彦は、よく弓生に他愛もない無理難題を押し付けた。ふと昔を想いおこし、口元に柔らかな笑みが浮かぶ。
「弓ちゃん、思い出し笑いはスケベなんやで。何をおもいだしとったん?」

             ★★★★★★


あれはただの気まぐれだった。
秋川の次期当主が鬼同丸のことを今だ思っているのは明らかだったし、そんな二人が会うところを見た雷電の顔が見てみたかったのだ。
だが見てしまった。
二人が出会った瞬間を見た雷電の目に嫉妬が走るのを。
そして、私は私の心に裏切られた。
あの日体調の悪かった私は、心の奥深く雁字搦めに封印していたこの想いを解放してしまったのだ。

隣に座らせた彼の顔を包み込み、その瞳を覗き込む。さっきの二人のことでも思っていたのだろう。
「何を考えている?弓生」
一瞬ボンヤリした表情を浮かべていたが、直ぐに手を振り解かれた。
全身で拒否する彼の体を封じ、ゆっくりと唇を重ねていく。
「やっと、私を見てくれたね。・・・嬉しいよ。弓生」
眼鏡を外す。素顔を見たのは、これが初めてか・・・。

今日の達彦の様子がどこかおかしいのは分かっていたが、ベッドに押し倒されながら冷静に思考をめぐらせる。
やはりこのホテルでの打ち合わせは、さっきの彼らを自分に見せたかったからか、と思う。
(私を見る達彦の目は、いつもの彼ではないようだ。
外の者には子供らしくないと言われ、家の者には次期当主という名のもと、自分の人格はないもののように扱われる。
いつも傷ついていた幼い達彦がここに居る。)
乱暴に服を剥ぎ取られた体に、達彦の指が彷徨う。
全身を探るその指先に自分の身体が煽られていくのを感じ思わずきつく目を閉じた。
このまま流されてしまおうか。体の芯が痺れたように熱くなっていくのがわかる。

柔らかな黒髪に優しく指を絡ませ、諦めたように目を閉じた弓生を見ながらふふと笑う。
いつもいつもこの体に触れてみたかった。
抱きしめて、抱きしめられて、想いを交わしてみたかったのだ。
が、次の瞬間凄い勢いで投げ出された。
そして、意識が薄れてゆく。


急いで服を着込み、床に転がって気絶している達彦をベッドに寝かせる。
足下にさっき取り去られた眼鏡を感じたが、そんなことを気にしている場合ではない。早く、この場を立ち去らなければ。
島田に連絡を入れる。
「達彦様が、お部屋でお迎えを待っておられます。足を滑らされ少し脳震盪を起こされました。」
が、部屋を出た所で聖と佐穂子に出くわした。
二人が私を伺うのがわかる。・・・それはそうだろう。
服はくしゃくしゃ。情けない顔をしているだろう自分の顔。
聖の怒気をあらわにした瞳を見て、嬉しいと思う自分がいた。
部屋に踏み込もうとする聖を引きとめ、思わず手が出た。
びっくりしたような聖の顔が・・・でも、痛いのは・・・


「達彦様、お迎えに上がりました」
島田の声で自分の記憶が欠落していることに気づき、驚愕する。
着衣の乱れを直して立ち上がりふと隣のベッドに視線を向けると、そこに見慣れた黒のコートがあることに気が付いた。
そっと手に取り、柔らかなその表面を撫でる。
(弓生)
心の中で呟いた名前に自分でショックを受け、視線を彷徨わせる。
(なぜここに彼のものが・・・)
暗転した後の自分の記憶に疑問を感じる。
後頭部がいたいのはそのせいか?それであの鬼は私を介抱していたのだろうか。
次々に疑問が湧いてくる。
それでも、何もなかったように表情を取り繕い歩を進める。

島田は雷電からの連絡を受け、急いで達彦を迎えにやってきた。
見送った時の不安が甦り、バックミラーに映る達彦のいつになく疲れた表情を伺う。
それを察したのか、とがめるような達彦の視線に今回秋川次期当主の上京を知らせたのが間違いの元だったのかもしれない。
と今更のように思う。
達彦の腕には、島田も見覚えのあるコートがあった。
ふと目線をそらせた達彦の眼差しは、島田の遠い記憶を呼び起こした。
いつも、いつも隆仁様の元を離れることのないあの鬼を見ていた、幼い達彦様。
あの時の自分の眼差しの意味を気づいておられない。
そして今、鬼として、術具の一つとして扱っているその心の奥底にある感情に。
「又雪が降ってきたな」
誰に言うともなく呟いた達彦は、ずっと窓の外を見つづけていた。


迎えの車を断った達彦は、ゆっくりと歩きながら舞い落ちる雪と戯れていた。
本家としての慣習に絡められ、学校では異質の集団に放り込まれている達彦にとって、これは時折訪れる自由に振舞える唯一の時間なのである。
家でも学校でも自分は一人・・・それは、日常のことであり、なんでもないことだと達彦は思っていた。
ハラハラと雪が舞い落ち、髪を肩を白く染めていく。
冷たくなった手をすり合わせ、息を吹きかけていた達彦は不意に誰かの気配を感じ、顔を上げた。
一人の青年が立ってこちらを見ている。 その腕には、見覚えのある紺のジャンバーが掛けられていた。
雪よりも白い肌が透けるようで、真っ直ぐに自分を見る瞳に吸い込まれそうだった。
「達彦様」
発せられるその声すら綺麗だと思う。
「何をしに来た」
心と裏腹な言葉が飛び出す。
そんな達彦の言葉を気にするふうもなく、気が付くときちんとジャンバーを着せられ、自分の前にしゃがんだ青年のボタンを掛けていく白い指先に見とれる。
「あちらに車が・・・」
顔をしかめた達彦に、にこりと笑いかける。
「もう少々なら、お時間をお取り出来ますよ」
「では、雪だるまを作ってみたい」
思わず口から出た自分の言葉に顔が赤くなる。
「駄目・・・?」
少し驚いたような表情を見せたが、直ぐにゆっくりと笑みを浮かべ達彦の手を取り歩き出した。
繋いだ手が、暖かい。
「雪だるま、作ったことがあるのか」
見上げると、漆黒の瞳に自分の姿が映っている。
「ええ・・・達彦様のお父上も作られました」
「お父様が・・・」
あの父が雪だるまを・・・いつ?
何故か聞いてはいけない気がし、黙って歩く。少し行くといつもの小さな公園に出た。
見慣れた何の変哲もない広場が一面雪に覆われ、思わず声が出る。
「大きな雪だるまを作ろう!」
そして、幾つも、幾つも日が翳るまで雪だるまを作りつづけた。


まだ雪が降りつづけていたのかと、ふと我に返る。
聖を置き去りにしてどのくらい歩きつづけていたのだろう・・・体が冷えきっている。
寒さに、あの部屋にコートを忘れてきたことを思い出す。
濡れて零れ落ちる前髪を上げタクシーを拾おうと歩き出したが、自分の濡れた着衣に気が付き、タクシーに乗るのは得策ではないと
並んで待っているタクシーの列をはずれた弓生は、周りの好奇な視線が名残惜しそうに体に絡みつくのを振り切った。
雪がゆっくりと降り積もり、濡れた冷たい服は急速に弓生の体温を奪っていく。疲れた体は重く、倒れ込みたくなってくる。
ふと立ち止まり、そっと己の右手を見る。聖を思わず殴ってしまった。
あれは、何に対する憤りだったのだろう。
佐穂子と二人、部屋に向かっていた聖。
部屋の中の達彦。そして自分。


ぼんやりと、空を見つめる
(弓生、おまえは私のものだ)
切なげに連なる言葉
(おまえを守るために、私は子孫をもうけよう)
悲しげな瞳
(ずっと、私をみていておくれ…)
すがりつく腕


縋り付くようなあの想いに、いつまで絡められていればいいのだろうか。

見上げた空は、舞い散る雪で弓生にその表情をみせてくれない。


かすかに震える手で携帯を取り出し、少し迷ったがメモリーを呼び出す。
少しのコールの後、懐かしい声が聞こえる。
「弓生か!」
「・・・・」
「何かあったのか?」
「雪が降っている」
「え。そっちは雪が降ってるのか。珍しいな」
「そっちはどうだ?」
「降ってね−よ。あーそっち行きてーなぁ」
しばらく会っていない電話の相手の声をじっと聞く。
聖は頻繁に電話をしているようだが、自分は余程のことがない限り連絡をとらないようにしている。
次期当主として、ようやく落ち着きを見せるようになった三吾に、自分はなぜ電話をしているのか。

「近いうちそっちに行くから。その時会えるよな。」
明るく元気な心地よい声が続く。
「そうだな・・・」
「弓生?」
三吾の心配げな声が続く。その様子が手にとるように浮かぶ。
「それじゃあ・・・」
そう言って、一方的に電話を切ってしまった。そして、電源を落とす。
しばらくそのまま、携帯をぼんやり見ていた。
柔らかな雪がその上に降り積もっていく…

時は情け容赦なく流れ、雪は弓生の手の中でとけてゆく。

それでも…また、すべてを覆い隠すかのように雪が優しく街を包んでいた。




ホワイトニュー様から、「凍結」の続編を頂きました。
今回は達彦篇でございます。前作に引き続き、シリアスに決まりましたね!
「凍結」と併せてお読みください。
ホワイトニュー様、どうもありがとうございました。