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邂 逅
晩春の陽光が美しい山の中、新緑も深みを増し、小鳥の声さえ透明に響いている。 「なんや、なつかしなあ。こないな山の中歩いとると、そこら辺から茨木が怒って出てくるような気がするわ」 汗を光らせる鬼同丸の項を爽やかな風がなでていった。 「頭領のくせに叱られていたのか」 跳ねるような鬼同丸の足取りを、静かにたどりながら珍しく高遠が尋ねた。 「茨木は真面目な奴やから、何でもキチンとやらな気がすまへんかったんや。頭領やったらちゃんと指示出さな皆が困るって、俺のこと追いかけ回しとった。」 陽気に誘われたのか、普段無口な高遠がクスリと笑った。 「それは、茨木とやらも気が気ではなかったろうな。それでお前は山の中を逃げ回っていたという訳だ。」 「まあな。そろそろちゃうか?」 と鬼同丸が訊いたのは、ちょうど小道が分かれたところにさしかかったからだ。 「そうだな。多分ここで良いのだろう。」 主が急ぎ届けたかった文の相手は、生憎この山の中へ出かけていると聞き、鬼の身にはたいした距離でもなかったので追いかけてきた。なんでも、母上が隠棲しているとかで、「ときどきふらっと出かけてしまわれて…」と家人は心底困ったように二人に言った。 訪いを問うと初老の女が出てきた。 面倒な応対は高遠に任せ、鬼同丸は庭へ続く脇の方へ歩き出した。子供の声が聞えたような気がしたのだ。建物を回りこんだとたん、5,6歳の女童が見えた。丁度つまづいたところを視界にとらえ、鬼同丸は走り寄って少女を抱きとめた。目を瞠った顔が可愛らしい。しゃがんで顔を寄せ、少女に笑いかけた。 「大丈夫か?元気がええな」 「これはまあ、お恥ずかしいところを…」 縁側から柔らかな声が掛かって、ふとそちらを見上げると品の良い尼僧姿の老婦人が座ってこちらに微笑みかけていた。きっと、この庵の主なのだろう。孫かと思われる少女から、鬼同丸に視線を移すと、微笑みが一瞬驚愕の表情に変った。が、すぐに穏やかな顔に戻り、鬼同丸に問いかけた。 「京からわざわざおいでになられたとか…?」 「そやけど、用事は俺とちごて済むさかい。子供の声が聞えたから…。俺、子供好きなんや」 立ち上がった鬼同丸を見上げた少女は、にっこりと笑うと鬼同丸の手につかまった。 「さようでございますか。それでは御用がお済みになるまで、こちらでお待ちになられたら。」 「ええんか。おおきに。」 そう言うと、少女の方に向き直り今度は抱き上げた。視界が高くなり、子供は無邪気にはしゃぐ。 その様子を見ていた主は、ためらいがちに声をかけた。 「あの…、あなた様はずっと京でお過ごしでしょうか?お身内の方も…」 妙な事を訊くと思い顔を向けると、主はじっと鬼同丸の顔を見つめている。 「これは、ご無礼を…。実は昔お逢いした方にあまりに似ていらっしゃるものですから…」
かれこれ、五十年ちかくも昔になりましょうか…… あの頃わたくしは、この子よりよほどお転婆でございました。普段、邸から出してもらえないわたくしが、あのときは父のお供で珍しく出掛けたのでございます。季節は丁度今ぐらいでしたでしょうか。 馬酔木の香りのする山の空気が珍しく、父が休憩している間に、一人山中に分け入ったのでございます。供の者たちは父とその周囲の世話に忙しく、子供のわたくしにまで、手がまわらなかったのでしょう。巣立ち鳥が枝をよちよちと渡る姿を眺めたり、庭でみることのないあけびの花や、真っ白に丸いこでまりの花などの間を歩くだけでただ嬉しかったのです。 そのような花の名前など、もっとずっと後になってから知ったのですけれどね。 そして、白に紫のぼかしがとてもきれいな花を見つけました。たぶん二輪草の花だと思うのですが、どうしても欲しくなって取りに行きました。 でも、その花が生えていたのは日陰で、足元が湿っていたことに気づかずに滑ってしまったわたくしは足を痛めたらしく動けなくなってしまったのです。 恐いもの知らずの年頃で、興味の赴くまま歩いてきてしまいましたけれど、そのような状況になれば心細く、ついにしくしくと泣き出しました。 「なんや、なんでこないなとこに子供がおるんや?しかも、ええとこの子やな。どないしたん?」 どのくらい、そこにいたのか突然声をかけられて、本当にびっくりいたしました。見上げると若い殿方がわたくしを見下ろして、笑っていました。 そのとき突然、近頃都に出没する鬼が山に住んでいるらしいという話を邸で聞いたことを思い出しました。鬼とはどのようなものなのかも知らず、ただただ恐ろしいものと思い込んでおりました。こんな山の中にいるなんて鬼に違いない。そう思ったわたくしは声も出せずにただその方を見つめておりました。 「どれ、そないなとこに座っとったら冷えてまうで。なんや、怪我しとるんちゃうか?見せてみい?」 そう言うと、笑顔のままわたくしを抱き上げて日向に座らせました。 「痛いか?これやったら歩けへんな」 不安と痛みで、何も言えないわたくしにその方は安心させるようにうなずきました。 「大丈夫や、俺が連れてったる。下の方が騒がしい思たら、おまえのこと探しとるんやな」 わたくしを抱き上げると、軽々と飛ぶように山を降りて行きましたけれど、家の者たちが大騒ぎしている手前まで来るとわたくしを地面に降ろしました。 「ここまでくれば見つけてくれるやろ。ここでお別れや。」 鬼かもしれないと思ったことが申し訳ないくらい、爽やかな笑顔でございました。行ってしまう前に、と必死で声を出しました。 「ありがとう…。」 「ええねん。はよ治して元気になれや。」 そしてその笑顔に安心したわたくしは、踵を返したその方に再び声を掛けてしまいました。 「あの…鬼なの…?」 ああ、わたくしはなんという問いかけをしてしまったのでしょう。子供だったとはいえ助けていただいたあの方に。一瞬動きを止めたその方は、困ったような顔をしたあと、満面の笑みを浮かべて言いました。 「そうやて。鬼や。またいつか会えるかもしれへんな。それやったら、またな。」 今度こそ、身軽に山を登って去ってゆく後姿をなんだか苦しい思いで見つめておりました。 ほんの子供のころのことでございますが、わたくしにとって、なにか神聖な思い出のようで忘れることができません。 またいつか会えるかもしれないと、そんな言葉を信じているわけではありませんでしたが、尼になったとき、山の中に住まいを移したのは、かすかにあの方の面影を追ってのことかもしれません……。
抱き上げた少女の顔の中に、あの時の子供に似たものを見つけて、(ああこのくらいやったわ)唐突にそのことを思い出した。 「鬼同丸!鬼同丸!!」 高遠の声が呼んでいる。 「御用がお済みになったようですね。」 「ああ、ここで待たせてもろておおきに」 「わたくしの昔語りなどをお聞かせしてしまって申し訳ありませんでしたね。でも、お会い出来て嬉しゅうございました。わたくしは老い先短いでしょうけれど、あなたさまはつつがなく生きていかれますように」 「おおきに」 少女を下ろすと、顔を覗き込んで、元気でなと言って高遠の待つ表へと出て行った。
そうだった。あの時も茨木に説教されるのが面倒で山の中を歩いていたのだった。 あの小さかった子供が、老人になっていた。皆の上に等しく流れる時が自分だけ止まっている。 (あの婆さんは、俺が本人かて気づいてたんやろか…) ―――つつがなく生きていかれますように――― (俺は茨木かて大好きやったし、頭領としたるべきときはちゃんとやってたさ。皆ええ奴やったし……ほんまに俺、皆が大好きやった……。) 「どうした、何かあったのか」 「なんで」 「お前が黙っているなど、珍しいからな」 「高遠がそないなこと聞くことも珍しいんやけどな」 それきり、黙って山を降りる高遠の後ろ姿に向かって言った。 「長いこと生きてるのも悪うないかもしれへんな」 もとより、高遠の返事を待つわけでなく。 この相棒がそう思えることがあるんだろうかと危惧しながら。 高遠のそっけない背中に、そっと呟いてみる。 「高遠…俺、じーさんのとこに呼んでもろてよかったよ…」 ―――高遠のことは俺が護ったる。――― 櫻南風(さくらまじ)がその呟きを浚って行った。 |
(2003.10.11)
葛城さまから素敵なお話を頂きました。なんと初書きだそうです!
別館書庫掲示板の方に頂くご感想がどうも創作系の素養のある方のようで、
書かれることを強くお薦めしたのです。(葛城さまはそれを「煽る」とおっしゃいます・笑)
お薦めしてよかったです。私見る目があるでしょう!
葛城さま、どうもありがとうございました。